今回のテーマを私は福島の七不思議とでも言うべきものの一つと考えています。 それは福島が誇る郷土の偉人である野口英世博士についてのことです。
野口英世博士(以下、野口英世と略)は明治9年に耶麻郡翁島村三城潟に生まれました。 野口英世(当時は清作という名前であった)がまだ1歳半の頃、誤って囲炉裏に転落して左手に火傷を負い、そのために左手指がくっついた状態であったものを、会津若松の渡部医師に治療してもらったことが将来医学の道を志す契機となったことは、皆さん御承知のことです。 野口清作は猪苗代高等小学校へと進み、更に自分の治療をしてくれた会津若松の渡部医師の会陽医院に居留しながら勉強して上京し、医術開業試験に合格後に渡米することになるわけです。
話は変わりますが、2000年は日本の火山活動が活発化した年でした。 有珠山に始まり、三宅島へとつながった火山活動は、他のいくつかの火山をも刺激したようです。 福島の磐梯山も火山性微動が増加して臨時火山情報が出されるようになりました。 磐梯山は過去に何回も噴火(爆発)をおこしていますが、最近のものは明治21年の大水蒸気爆発です。 そのために当時存在していた二つのピークのうち小磐梯山の山頂は吹き飛ばされて形を変え、吹き飛ばされた岩石・土砂が裏磐梯の長瀬川を堰止めたために多くの美しい沼をつくったわけです。 これも皆さん御承知のところです。
ここからが私が福島の七不思議の一つと考えていることなのですが、この磐梯山の噴火の時に野口英世は実は11歳になっており、爆発した磐梯山のすぐ麓に生活していたのです。 野口英世は間近に磐梯山の大爆発を見ていたはずなのです。 野口英世の伝記を読まれた方は多い、というよりほとんどの人は小さい頃に野口英世の伝記を読んでいると思われます。 そのどれも野口英世が磐梯山の大爆発を体験したことに触れていません。 少し前に有名になった野口英世を扱った小説「遠き落日」にも、このことは触れられていません。 これほどに有名な野口英世と、これもまた知らぬ人は居ない磐梯山の大爆発との関連について、全く触れられていないのは福島の七不思議の一つであると私は考えているわけです。
野口英世が磐梯山の爆発のときにどうしていたのだろうと考えた私はいろいろと資料を当たってみました。 すると、ちゃんと資料はあるのです。 野口英世の姉イヌが語った思い出をまとめた本が出版されています。 沼田史雄著「姉の語る野口英世の生立」(野口英世記念会出版)がそれです。 それによると、「磐梯山噴火の日、朝から野口英世は弟清三を連れて猪苗代湖へ注ぐ高橋川という小川に魚釣りに出かけていた」ようです。 そこへ大爆発です。 野口英世は弟を背負って急いで家に戻ってきたところを姉が見ていたようです。 姉の語る所によると、爆発のためワッサワッサと揺れてひっくり返りそうになり、野口英世の家の壁もおち、家の辺りにも爆発のための灰が降ってきたとのことです。 11歳という年齢は、こうした大事件を冷静に受け止めるには若すぎます。 現代の言葉で言えば、心的外傷後ストレス障害(Post-traumatic
Stress Disorder、PTSD)を発症した人もいたことでしょう。 野口英世自身が磐梯山の爆発体験について語っている資料はないので、彼がこの体験でどんな影響を受けたかは正確には分かりません。
しかし、世間にはこうしたことに関心を抱く人はいるもののようです。 野口英世記念会がまとめた野口英世の伝記のうち、少年期を扱った分冊にはちゃんと磐梯山の爆発が野口英世の心に与えた影響について書いてあるのです。 無論これは書いた人が想像したものですが、なるほどと思わせる記述です。 そこには「磐梯山の噴火を体験した後の英世には『心の中に噴火』が起きた」と書かれているのです。 どういうことかというと、磐梯山の噴火当時、野口英世は翁島の小学校に通っていたのですが、丁度その頃から成績がぐんと上がり抜群の成績で優等賞をとるまでになったというのです。 その結果、猪苗代高等小学校へ進むことになり、会津若松へ出て医術の勉強をする契機となったという訳です。 「遠き落日」を読まれた方は、野口英世が身勝手な程に野心と向上心に燃えて、成長していった人物であることを御承知でしょう。 そうした素質を持っていた野口英世が、少し成績の良い尋常小学校の児童から多感な思春期へと向かう頃に磐梯山爆発があった訳で、爆発が野口英世の誇大的な野心に火をつけたという考察は、野口英世の人柄を踏まえた鋭い考察であると思われ、私はなるほどと感心した次第です。
さて、考えてみればいつもの如くに新年が来るだけのことですが、新世紀を迎えるというと何かいつもと違った特別な体験をしているようで、私達の心に不思議な気分を醸しだします。 これを新たな向上につなげるべく、磐梯山爆発に遭遇した体験が野口英世の心に残したように、私達も世紀の変わり目に遭遇するという体験を活かしたいものであると考えています。
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